現エリザベス女王の父ジョージ6世が、平民のセラピストと共に吃音症を克服すべく奮闘するお話。
平民だろうと王族だろうと、困難に立ち向かい努力する姿の美しさは、変わらない。
難しいことにチャレンジしたり克服する物語って、大きな勇気を貰えますね。
だらだら過ごしてる自分に活を入れて「私も負けてられん!」って気にさせられます。
一国の王子であるアルバートが、平民で権威の無いセラピスト、ライオネル・ローグに、窓を開けた状態で発声練習させられたり、ゴロゴロゴロ~と床に転がされたりする場面には思わず吹き出してしまうのですが、当人達はいたって真剣。
吃音症が治るためならどんな恥ずかしいことでもやってみる王子と、治すためなら王族に対して無礼な態度も辞さないローグのコンピはまさにスポ根映画の選手とコーチ。
そういう要素が詰め込まれてるから、一見お上品で気取ったような雰囲気でも、ぐいぐい引き込まれて熱い感動が呼び出せたんだろうと思います。
しかし、「王族も平民も努力する姿は等しい」と表しているこの映画も、「王と平民は対等ではない」と言っています。
作中、ローグはセラピー用の対等な関係を作るため、王子を「バーティ」と呼び、自身を「ライオネル」と呼ぶよう求めるのですが、アルバート王子…ジョージ6世は、最後までローグのことを「ライオネル」とは呼びませんでした。
それは仕方のないことだと思います。
ジョージ6世の娘である王女達ですら、彼のことを「パパ」とは呼ばず、「陛下」と呼ぶようになってしまったのですから。
家族の間でも、「陛下」との隔たりは大きいのです。
いくら大きな絆を紡いだローグであろうと、ジョージ6世と対等な立場にいることは許されない、ということだと思います。
そしてそれは、ジョージ6世が「王としての自覚」を持った証拠でもあるのではないでしょうか。
ただラストに、ローグは王妃から初めて「ライオネル」と呼ばれました。
これで、「王族」とは対等な立場で友人となったということだと思います。
でも、欲を言えば…。
ローグはセラピストの他に、売れない役者としての顔も持っていることが作中で描かれます。
あるオーディションで、本人は王様の役を立派に演じたと思ってたのに、審査員からは威厳と若さが足りないと駄目だしされ、落されます。
それは映画のテーマを表してて良いと思うんですが、できれば彼が立派になったジョージ6世を見て、
オーディションで自分が駄目だしされた理由を悟ったり等、リンクする描写も入れて欲しかったなと思います。