かつてソ連でマエストロと呼ばれていたアンドレイは、今やボリジョイ劇場の掃除夫として生計を立てていた。
30年前に失脚して以来、ずっと指揮者として復活を切望しているアンドレイ。
その彼が、劇場オーナーに届いたフランスからの依頼FAXを見て、自分がボリジョイ楽団の指揮者になりすまして出演することを考え付く。
そのため、元楽団員にして救急車の運ちゃんであるサーシャを説得し、かつての楽団仲間をかき集めるべく奔走するのだが…。
空腹は最大の調味料。
そんな言葉を思い出させた映画でした。
というのも、アンドレイと楽団仲間が一緒に演奏する場面が、ラストを除いて皆無なので。
何故皆無なのかというと、ストーリーの半分はアンドレイ達が昔の楽団員を呼び戻すために力を注ぎ、もう半分はフランスに着くや否や、必死でかき集めた楽団員達がわさーっと好き勝手に散らばっちゃって、ラストの本番直前までほとんどが揃わないという恐ろしい事態になるからなのです。
当然、ラストまで練習や音合わせは出来ずじまい。
なので、かつてのアンドレイ率いる楽団がどれだけ凄い実力を持ってたのか今いち伝わらず、しかもトラブルだけはしっかり重ねちゃうので、見てるほうも「早く演奏して呆れてる連中をギャフンと言わせちゃえー!」とやきもきしてくるのです。
その呆れ顔の連中の筆頭であるアンヌ=マリーは、アンドレイが「ソリストは是非この子に!」と指名するほどの、実力ある若手の有名バイオリニスト。
実はアンドレイには、彼女を指名する理由がもう一つあり、それは30年前の失脚と彼女の出生にも大いに関係するのですが、当の彼女はそんな事情はつゆ知らず。
音合わせも出来ず、30年前の再現を目論むアンドレイに不信感まで覚えたアンヌ=マリーは、「コンサートは絶対に失敗する」と確信し、コンサート前日に出演を断ってしまいます。
しかし、育ての親でありマネージャーのギレーヌから「出演すれば貴女の両親のことが分かる」と説得され、しぶしぶ出演することになるのです。
半信半疑で出演するアンヌ=マリーや、ちゃらんぽらんな団員に振り回されたフランスの劇場オーナーとそのディレクター。
そして厳しい目を向ける評論家と観客達。
果たして彼らを「ギャフン」と言わせることができるかどうか。
その答えが、ラストの演奏でやっとはっきりするのです。
「ギャフン」を期待してた者(私もです)にとっては、やっと御馳走を与えられた気分になるし、そして演奏曲であるチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を通して、アンドレイと楽団員とアンヌ=マリーがどんな関係なのか、何故この曲で無いといけなかったのか、このコンサートの後、彼らはどうなったのか…。
それらが一気に解明され、思わず「御馳走様でした!」と言いたくなる満腹感が味わえます。
ある意味ラストまで音楽をお預けにされてきたからこそ得られるカタルシス。
私はクラシックに疎いので、この映画の演奏が素晴らしいのか凡百のものなのかは分かりませんが、映画の中で重ねてきた伏線と後日談が、最高のオーケストラにしてくれたと感じました。
ただ、アンドレイの掃除夫設定はもっと話の中に活かして絡ませれば、なお良かったんだけどな~。
それに序盤のアンドレイを見てると、指揮者に復帰できなかったのは単純に掃除夫の仕事を一所懸命やらなかったからなんじゃないかという疑惑が頭をよぎり…。
そしてこの映画で学んだことは、ロシアでは前払いは避けよう、でした(笑)