こつぶがゴロゴロ。

主にネタばれ感想を呟いてます。

カッコーの巣の上で

ある日入院してきた自由奔放なマクマーフィに影響され、少しずつ人間らしさを取り戻す精神病院の患者達と、それをよく思わない病院のお話。

 

 

う~~~ん…。

マクマーフィを始めとする患者たちの気持ちも分かるけど、ラチェッド婦長の気持ちも分かってしまうんだなあ。

もちろん、婦長は申し分ない悪人だとは思うんだけど。(なんですかそれは)

でも彼女の悪どさは、映画の中で誇張されたものではなく、多くの人々が心の中に持っているものなんじゃないかな。

もしあの病院で婦長と同じ立場になったら、自分含めた半分以上の人は彼女と似たような振る舞いをマクマーフィ達にしちゃう可能性があると思う。

だってね、実際にバラバラな集団を辛抱強く言い聞かせることのできる人は少ないと思いますよ。

まして相手は様々な事情で心が壊れ、外からの言葉が届きにくくなってしまった人達なんだもの。

そういう人達って、他人と行動を合わせることを習得する過程の中で、まず自我を確立させることから始めるだろうから、指示を出す人間に反抗的な時期があると思うんです。

その反抗的な態度を家族のように無償の愛情で接していけばいいんだろうけど、でも普通の人は他人に対してそこまで真剣に向き合おうとは思わないでしょ?

こういうのって、本当の意味で優しい人か、人を動かすのが天才的に得意な人じゃないと難しいと思うし、看護職に就いてる人だって大変だと思う。

 

まあ、ラチェット婦長はそれ以前に、自分の立場と都合だけの為に患者達を従順に従わせ、彼らに心を修復する機会を与えなかったという大きな罪があるんですけど。

更に彼女は、クライマックスでビリーを再び自分の操り人形にしようと精神的に追い詰め自殺させ、それに怒って首を絞めたマクマーフィに対しても、役職の特権をかざして彼にロボトミー手術を施し、全ての感情を奪ってしまった。

そこが彼女が悪人だと言われる所以だし、さすがに彼女のところまで行きつくような悪どい人はごく少数だと思います(そう思いたい)

対してマクマーフィは懲役から逃れるために、患者のフリして入院してきた健康的な男性。

 婦長やそれ以外の看護婦とは違い、役職も責任もないからこそ自由に振る舞える立場にあります。

そんな彼の無責任で我儘な行動が、逆に他の入院仲間達にとって好ましい影響を与え、自己の確立を促してくれる結果となった。

これは映画の中で、マクマーフィが良い男だ英雄だ素晴らしいと褒められてるわけでは決してなく、それだけ病院は「規則」という名の理不尽さで患者達を雁字搦めにし、人間的な感情を奪っていたということを示したかったんじゃないかと思いました。

そして、ラチェット婦長があんな横暴な女性となったのも、彼女より上の立場から同じく「規則」で身動きが取れないようにされたせいなのではないかとも。

ラストはインディアンの男性が病院からの脱走に成功しましたけど、彼は彼で今度は外にある「規則」と戦うことになると思います。

それを考えると、結局は登場人物誰もが「規則」から逃げられないことになるわけで、組織や社会のそれを打破するには、かなりの覚悟とリスクを伴うということを思い知らされます。

これは、私含め世界中の人達にも当てはまることです。

だからこそ、劇中のマクマーフィの自由で無責任な振る舞いが、私達にはどこか羨ましく輝いて見えるんだろうなと思いました。

ラストでどんよりさせられたけど、観て良かったと思います。

ジャック・ニコルソンは若い頃でもおじいちゃんになっても、独特な魅力を持つ俳優さんであることも分かりましたし。

あ、そういえばこの映画、クリストファー・ロイドも出てましたよね(インディアンの人もポルターガイストに出てなかったっけ?)

久々にバック・トゥ・ザ・フューチャーが観たくなったかも。