こつぶがゴロゴロ。

映画とゲームと漫画の、主にネタばれ感想を呟いてます。

隻狼プチ考察8:桜竜の目的について

 

 

 12月に隻狼が大きな賞を貰ったと聞いて嬉しくなったので、また考察もどきをひとつ。

 

 隻狼に出てくる経典では、竜の故郷は西にあると記されています。
「西」が日本の西にある中国なのか、それとも西遊記よろしくインドなのか、はたまた西方浄土のことであるかは分からないのですが(私は今のところ西方浄土だと思ってます)、そこに竜が帰ることによって死なずの人達は報われる、というような内容。

 

 また、変若の御子の台詞で「竜胤は故郷より放たれ日本に辿り着いた」というものがありますが、「放たれた」が「放逐された」という意味なのだとすれば、かつて桜竜は何かと戦って傷つき敗れ、西の故郷を追い出されたのではないかと推測できます。

 

 その後は自力で日本に辿り着いたのか、それとも常桜の種子に姿を変えて風に流されるうち、葦名の古い土地に降り立ち木の根を張ったのかは分かりませんが、ボロボロの竜は仙郷に住み着いて、養生しながら傷を癒そうとしたのではないかと思われます。

 
 じゃあ傷を癒すってどんな風に?と言われれば、葦名の古い土地で美味しい水を飲みながらゆっくり休む、ということになるんでしょうけど、竜の舞い面の説明を読む限りだと、竜を敬う心や信仰心でも生命力を得ていたのではないかと考えられます。

というのも、一心にお酒を飲ませた時に「蹂躙された長い間、源の水を祀ることも許されなかった」という台詞が聞けるからです。

 

「源の水」という言葉からして、水は桜竜が住み着いた後に祀られるようになったのだろうと思われるのですが、葦名の民が水を祀ることを禁止されたせいで、桜竜へ注がれる信仰心が途絶えてしまい、桜竜の傷を癒すことも力を蓄えることもできなくなったのではないでしょうか。

 

 そこで困り果てた竜は、丈に対し「ワシの片腕(分身?)を下界に植樹して祀るようにしてくれない?」と常桜を渡し、巴には「下界に降りて田村勢と戦ってる一心の助太刀をしてやって」と頼んだんじゃないかな?と妄想。

 

そして葦名衆が勝って源の水を祀ることが再開され、葦名城にも常桜を植樹してもらい、やっと桜竜も養生できると思った矢先。
梟が常桜の花を盗んで木を枯らしたことにより、桜竜は片腕までも無くしてしまった、という流れだったのかもしれません。

 

 では、もし順調に癒されて活力ある元の姿に戻った場合、桜竜は何をしたかったのか?と考えると、やっぱり「西へ帰りたい」が目的だと思います。
ただ、竜の帰郷EDの方法だと竜胤が帰郷することになり、肝心の桜竜は置いてけぼりになることもあって、あの時点では桜竜にとって時期尚早というか、望んでいなかったのではないかと考えています。

 

 もう一つの根拠を言うなれば、仙郷で顕現した桜竜は相変わらず手負いの状態だし、竜の涙を取りにきた狼を寄せ付けないように攻撃を繰り出したからです。
また、それぞれの手記でも桜竜の涙が必要だと記されているのは「竜胤断ち」のみで、「人返り」も「竜の帰郷」も桜竜の涙を必要だとは書いていません(メタ視点の常桜の花にはありましたが)

なのに、「人返り」と「竜の帰郷」EDを目指した時でも狼が桜竜の涙を九郎に飲ませたということは、彼には九郎を生かしつつも竜胤を根絶するという目的があったのではないかと思われるのです。

 

桜竜にとっては体が癒えてない上、自身を繁栄させる目的で作ったのであろう竜胤までいなくなれば、源の仙郷からますます離れられなくなってしまいます。
だから「竜の帰郷」EDは、狼、九郎、変若の御子、死なずの人々にとっては希望を持って終わるのだけど、桜竜にとっては「ちょっと待ってえええ!」な気分なのかも。

 

まあ、すべては丈が竜胤断ちの書を書かなければ、桜竜にとって竜の帰郷EDも有意義なものになっていた可能性もあるけど。
でも丈はきっと、下界に降りて竜咳が蔓延し多くの人々が苦しみ死ぬ様を目にしたからこそ、竜胤断ちを決心したんだろうとも思います。

 

 余談ですが、神域にいる古墳時代辺りの格好をした巫女についても。
髪と肌が真っ白なところからして、彼女は竜胤の御子とはまた違った存在なのかなと思います。
九郎や変若の御子の白い髪はメッシュ程度のものですが、神域の巫女は完全な白髪(銀髪?)ですからね。
肌の色も青白いし(死んでるからだと言われればそれまでですが)
源の水を飲んだ人々や動物達(猿や蛇)も真っ白になっているところからして、水を飲み続けるとああなるのかも。

 

 というわけで、私の考える桜竜の解釈は、今のところはこんな感じです。
物語中での判断材料が少ない為、どうしても「これだ!」と確信をもって書くことはできないのですが。
たくさんある解釈の内のひとつだと思っていただければ幸いです。

※追記。

この考察は、常桜のテキストと巴の手記の件を無視して考えたものでもあります。

なので、白木の翁達に関する考えが整ったら改めて考察しなおす予定。