こつぶがゴロゴロ。

主にネタばれ感想を呟いてます。

イン・ザ・トール・グラス の感想

 
 謎の展開についていくことしかできない、時間ループ物のホラー映画。
原作はスティーブン・キングで、監督は「CUBE」のヴィンチェンゾ・ナタリ

観る間「???」となりつつも、どこかレトロなものを感じさせるBGMと、泥んこだらけの出演者を見ると「あ~、昔のホラー映画ってこんな感じだったよね!」と懐かしい気分になりました。
全体的に80年代辺りの演出を思い起こさせるので、あの時代のホラーが好きな人にとっては、たまらない作品だと思います。

 

 ただ、謎が謎を呼ぶ展開なので、最後まで観ても「…で、あれはどういうことだったの?」とモヤモヤが残る映画でもあります。
登場人物の殆どがまともな思考を持って動くので、人間関係や心情は把握しやすいようにできてはいるのですが。

岩とか草とか、ホラーな世界観を作り出してる部分は抽象的に語られる為、「そういうことか!」と合点がいくような場面が最後まで出てこないんですね。
なので、舞台背景がはっきりしないのは好きじゃない、という人にはあまり向いてない作品だと思います。

 

 また、ヴィンチェンゾ・ナタリといえば「CUBE」や「NOTHING」など「人の心理を的確に描き切ることに、恐ろしく長けた監督」という認識が私の中にあるのですが、今回はその部分がちょっとだけ雑だったように感じました。
ロスの変貌が劇的になる為にも、草むらに入る前までに彼の性格が分かる描写をもっと増やして欲しかったなと思います。

 

 ということで、「100点満点の映画」というわけではないんですが、雰囲気作りはとても上手いので、ホラー好きなら観て損はないと思われます。
死霊館」や「インシディアス」のパトリック・ウィルソンも出てますし。

考察好きにもたまらない出来じゃないかな。
私は好きです、この映画。
 


 ここからネタばれ感想。

 

 物語の初めから既にループしてる状態なので、「物事の始まりはどこからか?」「あの草と石はなんなのか?」と疑問だらけになる上、「そもそも設定があやふやの状態で作られてるんじゃないか?」という疑念も沸いてくるのですが、私なりの考察を書いてみます。

 作中、岩に触れた者は草の言葉が理解できるようになり、草むらの抜け道も分かるようになることが描かれています。
また、草と同化することで、色んな場所に姿を現わしたり消えたり出来ることも示唆されています。

 そしてロスの言動から察するに、あの岩の場所に導かれる者は何かしらの迷い(悩み)を抱えていることも分かります。
岩に触れると迷いが吹っ切れるようなのですが、そうなると草むらから出ようとは思わなくなり、草と一体化するのを望む、という思考に傾いてしまう様子。

   物語のクライマックスでは、ロスはトラビスに対して「君は僕と似ている、だから救済したかった」と言います。
そんな二人に共通しているのは、バンドのボーカルだったことと、恋人が妊娠した為に夢をあきらめるか否か選択を迫られた、ということ。
ロスは恋人と子供を養う為に夢を捨てて不動産業者になり、トラビスは夢を捨てきれなくてベッキーに中絶を促す、という選択を行いました。

  でも、草むらに入ってからは、この二人の選ぶ答えが逆転します。
ロスは「(ゴスペル・バンドで)イエスと共に世界を変えたかった」という昔の夢を「救世主の岩と共に世界を変えたい」として実現しようとし、トラビスは夢よりもベッキーとお腹の子に「助かって欲しい」と願うようになって、トービンを脱出させベッキー達の時間ループを阻止しようと試みます。

 そんなトラビスに手を引かれトービンが導かれた先は、「救世主の黒い岩の教会」の奥にある開かずの扉の部屋。
これが意味するのは、恐らく岩に触れた者が「相手を助ける」という(人間から見て)正しい選択をすれば、助けた者を通して他の迷える人達も救われるという「真の救済」が成立し、触れた者は「本物の救世主」となっていく、ということなのではと思います。

 ただ、それはあくまで「人間側の正しい行い」であって、「黒い岩にとっての正しい行い」は、ロスが言ってたように草むらと一体化することなのかもしれません。
なので、あの教会を建てたのも、迷った人間達のやり取りを上から眺めて楽しむような、悪意ある存在だったのではないかと思います。

 

他に気になった細かいところも。

●OP等に出てくる草むらの向こうのボーリング場は何なのか?

 元は普通のボーリング場だったものの、草むらの範囲が一気に拡大した為、あの場所も浸食されてしまったのではないかと思います。
なので、その時ボーリング場にいた人達も迷い込んでしまったのではないでしょうか。


ベッキーが度々見る白昼夢らしきものは何なのか?
 恐らく、ベッキーのお腹の子供が前回の草むらでの出来事を覚えていて、母体を通して訴えていたのではないかと考えられます。
OPでカルがハンバーガーを食べる様子を見てベッキーが吐いてしまったのも、岩前の出産後に「草(赤ちゃん)」を食べたことを連想させたからではないかと。

あるいは、もしかするとベッキーも、かつて岩に触った時間軸があったのかもしれません。
トービンがボーリング場で唐突に「僕たちは草と一体で何度でも生き返って殺されるんだ」と言い出すことからも、時間ループ中に一度でも岩を触ったことのある者は、前回の記憶をうっすら持ち越してるフシがあるので。


●最初に草むらに入ったのは誰なのか?
 今のところ、二つの可能性が思い浮かぶのですが、今回はひとつだけ述べてみます。
序盤でカル&ベッキー兄妹は、トービンの声を聞いて車を教会前に停め、草むらに入ります。
続いて二か月後、トラビスがやってきて草むらに入る時、兄妹の車はそのまま放置された状態でした。
その翌日に、犬のフレディを追いかけてロス一家が草むらに入った時、トラビスの車は残ったままでしたが兄妹の車はありませんでした。

更にその翌日~数日後、カル&ベッキー兄妹(その2)がトービンの声を聴いて草むらへ入る時、トラビスの車は消えていました。
ここまでくると、「じゃあロス一家が乗っていた車はどれ?」と思ってしまうのですが。

電話中のロスが現れた方向から考えれば、兄妹の車より奥に停められてた銀色の車が、それである可能性が高いです。
そしてその車は、兄妹が教会に来た時もトラビスが教会に来た時も駐車されていました。

 というわけで、ループの起点となったのは銀色の車に乗っていたと思われるロス一家であり、次に兄妹、最後にトラビスの順番だったのではないかと思います。多分。
 

以上です。
宗教やカンザス州の風俗史に詳しい人なら、もっと違う解釈になるのかもしれませんね。