こつぶがゴロゴロ。

映画とゲームと漫画の、主にネタばれ感想を呟いてます。

ロッキー1の再観賞で新たに気付いたこと その2(エイドリアンについて)

 


 今日は、前回の感想で書き忘れた部分をちょろっと書きなぐり。
追記しようかと思ったけど、新記事として書きます。

 

 今回の観賞で、実は他にも気付いたことがあります。

それは、エイドリアンの極度な引っ込み思案の理由がちゃんと描かれていたこと。

今さら気付いたの?と言われそうですが、私にとっては目から鱗でした。
 

 作中、ポーリーが荒れ狂う場面がありますが、その時エイドリアンに対して
「今まで(エイドリアンの)面倒をみてやったのにこの恩知らず!もっと俺に尽くせよ」という台詞を言います。(うろ覚え)

その台詞に激怒したエイドリアンは
「恩知らず?今まで兄さんの食事や洗濯をしてあげてたのに何の恩があるというの?兄さんが私をみじめにしたのよ!私は負け犬じゃない!」と言い返します。

 
このやり取りを見てハッとさせられたんです。
エイドリアンが内気だったのは、長年に渡ってポーリーに見下され、束縛され続けたせいだったんだと。

昔から「お前は不器量で駄目な妹だ」とポーリーに言われ続けていたから、彼女は自信喪失して独立心を挫かれ、身動きが取れなくなっていたんだな、と。

だからエイドリアンは、兄との共依存関係から抜け出す為に家を出て、ロッキーと同棲を始めたんですね。

それを踏まえて考えると、エイドリアンにとってのロッキーは、言葉の呪縛で雁字搦めにされて動けなかった自分を救い出してくれた、まさに白馬の王子様な男性だったんだろうと思います。

ポーリーとエイドリアンも、これがキッカケで兄妹としてあるべき関係に構築しなおすことができたんでしょうね。

 ヘタな少女漫画より恋愛としがらみをしっかり描いてるのが凄いです。

シルベスター・スタローンって、本当に人の心の機敏を描くのが上手いですね。

脚本家としても優れてる人なんだなと思った、再観賞の感想でした。

時を置いて再観賞したら、また新たな発見がありそう。映画って奥が深い。

 

ロッキー1 の再観賞で新たに思ったこと その1

 

 最近、ロッキー1 を再観賞して今更ながら気付いたことが。

ロッキーって、下品な事を決して口にしないキャラクターだったんですね。

ポーリーやガッツォの部下はその類の台詞を発するんだけど、ロッキーはそれに一切乗らないようにしてたのが印象的でした。 

彼の身なりを注視すると、シャツやタンクトップには穴が開いてるし、言葉遣いもスマートではないんですが、女性に対する態度は無骨ながらも紳士そのもの。

男同士の会話ですらロッキーは一定の品格を保って接しているから、観ていて安心感がありました。


そこで思ったのは、ロッキーをはじめ、昔の映画って品があったなあ、ということ。
チンピラだろうがスラム街の住人だろうが、下品と思うことが無かったような。

最近の映画だと、普通の主人公ですら下ネタやNGワードを連発するのが当たり前になっていて、登場人物もロッキーやランボーのように共感できるような弱さではなく、モラル的に許されない部分を肯定的に描こうとするのが多くなった気がするし…。

時代の流行りなんだろうか。

 

今後はロッキーのように、本当の意味で品の良い映画が再び増えてほしいなあと思いました。 

※ちなみに、死霊館シリーズ等はロッキーに近いものを感じます。

みんな性善説で動いてる感じ。

レギオン の感想。

 

 
  人に何度も裏切られてきた神は、ついに人類を滅ぼす決断を下した。
全ての天使がそれに従う中、ミカエルだけは命令に背いて天使の翼を切り落とし、人類の救世主となる赤子を守る為、行動を開始する。

 一方、アメリカのモハベ砂漠のダイナーでは、オーナーのボブとその息子ジープ、妊娠中のウェイトレス「チャーリー」がいつも通り働いていたが、奇妙な砂嵐、テレビや電話の不通など、おかしな現象が相次いでいた。
そこにふらりと現れた老婦人グラディス。
彼女はオーダーを取りに来たチャーリーに対し「お腹の子供は地獄に落ちる」とにこやかに言い放つ。
暴言に憤慨した客のハワードがグラディスに詰め寄ると、突如彼女は牙を剥いて彼の首を食い破り、店中をパニックに陥れた。

一変して非日常の場と化したダイナー。

だが、これは人類の存亡をかけた戦いの予兆でしかなかった。

 

 


 黙示録をモチーフにしたアクション・スリラー映画。
人類を滅ぼさんとする天使軍団と人間(と元天使ミカエル)の攻防がダイナーで繰り広げられるという、いかにもB級映画的なシチュエーションなのですが、演出に関しては
ヘタなA級映画よりも優れてると思います。


 まず、この映画は何気に場面転換の工夫がすごい。
「鬱々とした室内の閉塞感」と「荒野の景色が広がる室外の解放感」が効果的に映されていて、息苦しさや気だるさを感じさせることがありません。
作中、天使の襲撃に備えて登場人物9人が「狭く薄暗いダイナーで待機する組」と「屋上で広い荒野を見張る組」の2手に分かれるのですが、それによって物語が室内と外で切り替わるようになり、空間のメリハリをつけているのです。
ダイナーが市街地や森ではなく砂漠の道路沿いにある設定なのは、こういう効果も狙っていたのかもしれません。


 また、次の展開への「引き」も巧み。
その役割を担ってるのは主にミカエルなのですが、彼の意味深発言は次の場面を示唆し、物語の全体像を形作るものとなっている為、彼が話す度に期待が煽られるし肩透かしもありません。
同時に、ミカエルのミステリアスな存在感と頼もしさが強調され、元大天使という設定に説得力が加わるようにもなっているので、よく考えられてると思います。

 音に関しても、アイスクリーム屋のメロディやガブリエルの降臨を表すラッパの音など、象徴的な音色が絶妙のタイミングで入ってくるので、観ている私も気分が盛り上がりました。


 なので、これらの地味に素晴らしい演出のお陰もあり、グラディス登場から終盤までは本当にワクワクしながら観ることができたんです。

そう、終盤までは。
 

 というのも、この映画には「ターミネーター」を意識したような要素がよく出てきまして。
例えば、ミカエルがLAに降り立って砂漠へ向かうまでの一連だとか、チャーリーの職業がウェイトレスだとか。

 最初の頃はそういう所も「監督がターミネーター好きなんだろうな~」と微笑ましく見ることができていたのですが、終盤までいくとオマージュが笑えないレベルになってきて。
車を襲うガブリエルなんて最早 T-1000 にしか見えず、ラストではもう「これターミネーターじゃん」と呟いてしまうほどでした。

せめてラストだけは、この映画のオリジナリティを出して終わって欲しかった…。


 でも、やっぱり終盤までは目が離せないほど面白い映画なので、観て損はないのは確かです。
続編があれば観てみたいかも。

パッセンジャー

 ※過去にTwitterで呟いた感想に加筆したもの。

 


 地球から遠い別の星へ移住希望する乗客達を乗せて、広大な宇宙をひたすら進む大型宇宙船。
目的の星まで120年を要する為に乗客とクルー全員をコールドスリープさせていたが、あるアクシデントで1人の男性客が目覚めてしまった。
地球を飛び立ってからまだ30年しか経っていないことを知った彼は、残り90年間を宇宙船の中で独りだけで過ごすという絶望に耐え切れず、ある日、一目惚れした女性客のコールドスリープ装置を壊してしまう。
目覚めた彼女はその事実を知らないまま、身に降りかかった不幸を彼と慰め合い仲を深めていくが…。

 


 昔からよく語られる怖い話で、「目覚めると地中奥深く埋められた棺桶の中にいて、脱出もできずそのまま朽ち果てる」というシチュエーションがありますが、
この映画はそれを砂糖水で希釈して、恋愛とSFでドラマチックに仕立ててます。

広い宇宙船とはいえ、船内で孤独に一生を終える事実に直面した主人公「ジム」が、禁断の方法に手を出したくなる気持ちはよく理解できるし、ジムに強制的に目覚めさせられたヒロイン「オーロラ」がその事実を知り、可愛さ余って憎さ100倍で彼を殺しかけた気持ちもよく分かります。

分かり過ぎて、途中、観るのが辛くなってしまう程です。

地球へ引き返すことも、助けが来ることも叶わない宇宙でそんな事が起こるのは、
棺桶や狭い空間に閉じ込められて出られない恐怖と似ているのだと思われます。

 

だからこそ、しばらく後に船長が登場した時は「おおっ!」と体が前のめりになるし、ジムとオーロラが感じたであろう安堵を観る側も感じ取ることが出来て、
これから話が一気に動く予感にワクワクできるのです。
実際、話の盛り上がりは大きくなりますし、それまでの緩い倦怠感(退屈ともいう)は吹き飛び、ラストまで突っ走っていきます。

主人公達の心情の移り変わりも、話を効果的に展開させるのも上手い映画だと思います。

 

ただ、一方で設定に関して気になった点がいくつかありまして。

 

何故ジムとオーロラは船長が起きてるにも関わらず「彼の権限でクルーを全員起こして船やコールドスリープ装置の修理をしてもらう」という発想に至らなかったの?

船長すらそういう行動を取らなかったということは、宇宙船を修理できるエンジニアを乗せてなかったの?

そもそも普通は、宇宙船や乗客にアクシデントが起きた場合に対処できるよう、
数人は必ず起きていてシステムを見張っているもの(1~2年経ったら他のクルーを起こして交代)ではないの?

宇宙船のオート機能に任せっきりなんてあり得るの?


…という疑問が観ている間ずっとつきまとい、ラストを迎えても納得できる答えが見当たらなかった為に、私の最終的な評価はイマイチなものになってしまいました。

せめて、OPで「見張っていたクルーがアクシデントで死亡した」場面があれば、このモヤモヤも軽減できたと思うのだけど。

なのでこの映画は、「万が一の事も考えずに発進した宇宙船の悲劇」という前提で観た方がいいのかも。

 

でもラストは綺麗な締め方でした。

クリスマス・クロニクル2 の感想

 

 

 前作から2年後の続編。
すいません。正直に言わせてもらうと、今回はいまいちでした。

 

2年後に主人公のママが、新しい恋人と婚約寸前まで進んでるという設定は
まあ妥協できます。
主人公の初登場が、クリスマスとは無縁そうなリゾートビーチなのも
(個人的に微妙ですが)アリだとは思います。

 

問題は、前作の主人公テディが一線を退いて、ママの恋人の連れ子ジャックが
その位置に代わったこと。

 

前作と同様、テディとケイトがサンタクロースと再会して奮闘する話で良かったのに、何故テディをママやボブと同じ位置に降格させる必要が?
主人公格をケイト、テディ、ジャックの3人にするのは駄目だったのでしょうか?

 

 また、前作からの視聴者であれば、常識に染まった大人達とサンタがやり取りする様子を再度見たかった人が多いと思うのですが、そんな場面も後半になって
申し訳程度に出てくるだけ。


1と比べると色んな面でグレードが落ちていて、「ドラマシリーズにする予定だった企画を、無理やり映画にしたのでは?」と少し疑ってしまいます。

 

 何より前作と決定的に違ってたのは、今作は子供達とサンタクロースだけにフォーカスされていて、大人達が只の舞台装置と化しているということ。

1の話は大人のエキストラ達まで目が行き届いていて、「スレた大人達にもファンタジーを信じる子供時代があったんだ」と思わせるような、そんな情緒があったのに。

2は大人がただの飾りになっているし、視聴者に対しても「そろそろ現実を見つめて割り切った大人になろう」と暗に言っているようで、なんだかなあと思います。

 今回、19歳のテディがサンタと共に冒険しなかったのも、ケイトがママの再婚で亡きパパが忘れられるのではないかとモヤモヤしている設定も、そんなメッセージが込められてるように思えてならないのです。

 

 とはいえ、この映画は前作から「キッズファミリー映画」に分類されていたのも事実であり、今回の私の感想は「大きいお友達が年甲斐もなく駄々をこねてる」ことに近いのかもしれません。

本当のターゲット視聴者である子供達が、ケイトとジャックに感情移入して楽しめたのなら、この映画は大成功なわけですから。

 

 でもやっぱり、3が作られるなら再度1のコンセプトに戻してくれたらと思ってしまいます。

それに、 カート・ラッセルゴールディ・ホーンのサンタ夫婦は華がありキャラも立っているので、2で終わらせるのは勿体ないとも思うので。

 

…え、ベルスニッケルはって?
なかなか良いキャラだったと思います。

ユールキャットも可愛かった。