劣悪な環境の中で積もっていく負の感情。
それを暴力によって発散させるか、ダンスという感情表現でアートに昇華させるか。
そんな問いが、この映画の中で何度も出てきました。
私、今年に入ってからようやく解ったことがあったんです。
辛い時、悲しい時、不安な時、怒りに震える時。
そんな負の感情がわきあがっても、それが醜い感情だと解ってるから必死に抑え込んでしまって
それで胸が苦しくなる時がある。
落ち着かなくなる時がある。
だけどこんな時こそ、感情を「形」にして表に出すことが大事なんだって。
少し考えてみれば、すごく簡単なことだし単純な答えなんだけど、私はこの答えをずーっと導き出せずに悩んでたんです。
でも今年、あるきっかけでやっと解り始めたんですよ。
本当の創作って、「醜い自分」を晒さす覚悟がなきゃ出来ないものだってね。
消えもしない負の感情を無理やり抑え込まないで、活力として利用すれば良いんだと。
だからこの映画を観た時、「ああ、やっぱりこの答えで正解だったんだ」と思ったんです。
映画の中の彼らは、逆境に立たされてもダンスで負の感情を昇華して、人に活力を与えてる。
楽しいことがあったら、それも体全部で表現して皆に楽しい気分を与えてる。
恵まれない環境の中で蓄積される負の感情を、ギャングになって消化するか
ピエロというダンサーになって昇華するかの二択で、彼らがピエロになることを選んだように
私も絵を描いたりしてそれを昇華すればいい、そう再確認した映画でした。
しっかし彼ら黒人のダンスは本当に天賦の才能なんですねえ。
赤ちゃんですら立派に踊ってんだもん、ビックリですよ。
「シャーマン」という言葉を強く意識しました。
黒人の感情表現があの激しいダンスだとすると、黄色人種…もっと制限して日本人の感情表現は何なんでしょうね? 「静」の中に感情を込めているのかな?