観始めたときは、悪に染まりきったギャングの少年ツォツィが、赤ん坊を拾ったことで昔の純な心を取り戻し、過去の贖罪をしていくという、王道的な不良の更生物語だと思ってたんだけど…。
見終わると、これって心優しき少年ツォツィが、完全なワルになりきろうとして失敗する話だったのかも?と思うようになってました。
車を奪う時に女性にトドメを刺さなかったり、車の中の赤ん坊を連れ帰って悩むこともせずに育てようとしたツォツィに
「え?いくらなんでも唐突過ぎない?」
と戸惑ってたんだけど、ラストのツォツィの表情で疑問点が氷解したような気がしたんです。
撃たれた女性がまだ生きていたり、後部座席で赤ちゃんが泣いてるのを見て動揺したことから
精一杯悪行を尽くそうとしたツォツィは、電車で人を殺したことで単なる不良の一線を越えたと思ってたのに、まだ完全なワルになりきれてないことを自覚したんじゃないかな。
だからこそ、ツォツィは躊躇もせず赤ちゃんを育てようとし、最後には赤ちゃんを両親の元へ返そうと考えたのだと思います。
ですが、今までの革ジャンを脱いで白いワイシャツに着替え、胸をはだけさせることもなくきっちりとボタンを留め、赤ん坊の両親の家に出向いたのは、反省心や誠実さの現れというより、真っさらな自分に生まれ変われたような気持ちだけで、己の責任は頭になかったのかもしれません。
でも彼の起こした罪は、やはり償わなければならなかったわけで。
警察に囲まれた中、憎まれるべき赤ん坊の父親に「兄弟」と言われ優しく諭されたとき、大人を圧倒するほど凄みのあったツォツィが、不安と恐怖と後悔にまみれた迷子の子供のような顔で涙を流します。
最後の最後で、ツォツィの本性だった純朴な少年の顔が表れるのです。
この時の表情は本当に、ほんとうに見物です。
表情の崩れ方を目の当たりにするだけでも、ラストまで見続ける価値はあります。
それくらい、ツォツィを演じた役者さんは凄い演技をしたと思います。
不幸で劣悪な環境のせいで歪んでしまった一人の少年は、やけっぱちで悪の道へ突き進むため、愛情を感じさせる存在を作らず、そして避け続けて生きて行きます。
しかし、過去に飼っていた犬のように庇護を感じさせる赤ん坊にとうとう出会ってしまい、自分には悪の道を歩み続けるのは無理なのだと思い知った。
そういう話なんだろうなと思いました。
…ただ、もしも未公開のED2つが採用されてたら、また別の感想が生まれそうですね。
本編のEDが採用されてて良かったです。