ベルリンの壁によりドイツが東西に分かれていた頃、東ではドイツ社会主義統一党が独裁を敷き、シュタージ(国家保安省)が反体制に目を光らせていた。
そんなシュタージの忠実な局員であるヴィースラー大尉は、舞台演出家のドライマンとその恋人の女優クリスタを、反体制の疑いで監視するよう命じられる。
ドライマンの部屋に盗聴器を仕掛け、二人の行動を何一つ漏らすことなく報告書にタイプしていったヴィースラーだったが、彼らの生活に散りばめられた愛情や信念、文学や音楽に触れていくうちに、次第に価値観が変化していくことになる。
そしてドライマンが「善き人のためのソナタ」を弾いたとき、ヴィースラーの魂は大きな感動に揺さぶられてしまった。
よかった。
もう、この一言だけでいい感じ。
ストーリーも演出も、そして主人公ヴィースラーに対しても、良かった良かったと言いたくなる映画です。
「善き人の為のソナタ」を聴いて己の正義を貫こうとするヴィースラー、逆風が吹いても芸術を愛し信念を曲げようとはしなかったドライマン、愛と権力の板ばさみになり究極の選択を強いられてしまったクリスタ。
体制に翻弄された彼らと、彼らを取り巻く敵味方のそれぞれの立場や心情が、分かり易く描写されていて、当時の東ドイツの事情をよく知らなかった私にも、世間に漂っていたであろう独特の窮屈感が感じられたような気がしました。
ただ、ヴィースラーがドライマン達に徐々に影響を受けていく過程が弱いのが残念。
いっそのこと、ソナタを聴いて初めて価値観を180度変えられたことにしても良かったと思う。(残念ながら肝心のソナタは個人的には特に良いとは思えなかったんだけど…。)
でも描写不足な部分も、ヴィースラー役のウルリッヒ・ミューエが深みのある演技と表情で充分補ってくれてるので、心情の唐突感による不快感はありませんでした。
この映画に携わった多くの人は、かつて東ドイツに身を置いていたんだとか。
その中で驚いたのは、ウルリッヒ・ミューエが過去の東ドイツで、まさにドライマンのような経験をしていたということです。
だから彼の後半の演技には特に真摯さが感じられたのかもしれない。
一人一人の当時の思いが詰まってるから、シンプルながらも凄く心を打たれる映画になったんだろうな。
最初から最後まで淡々とした静かさで物語は進むのに、それでもラストで大きなカタルシスを得られたのは、ヴィースラーが「善き人のためのソナタ」を聴いて共鳴したように、私も彼の生き方に共鳴していた証拠なんだと思います。
そして、信念を持つということはどういうことなのか。誇りとは何なのか。
この漠然としたテーマを、ヴィースラーは鮮明に伝えてくれました。
自分の正義に従ったことにより出世の道を閉ざされて郵便物の検査係に左遷されても、ベルリンの壁崩壊後、味気ない作業服を着てアパートのポストにチラシを突っ込んで生計を立てるようになっても。
何年も何年も、不平不満も言わずただ黙々と業務をこなす彼の姿は、かつての決断がすごく固いものであり、最初からこの境遇を一生受け入れる覚悟があったことを表してるように見えたんです。
だから、ラストの「私のための本だ」という台詞は、彼の中で信念が誇りに変わった瞬間だったんだろうな、と思えるんです。
きっとこの先もずっと、彼は配達の仕事を続けるんだろうけど、今までとは比べ物にならない大きな誇りを持って仕事に臨むんだろうな、と。
この映画がアカデミー外国語映画賞を受賞したのも納得です。
テレビでも放映して欲しいな。