こつぶがゴロゴロ。

主にネタばれ感想を呟いてます。

人に言えなかった、最近読んだ本

 

 

 私は初対面の人に趣味を聞かれると、いつも「読書or映画鑑賞です」と無難に答えています。
「最近読んだ本or映画でオススメはありますか?」と聞かれたら、素直にタイトルを教えて話を繋げていこうと必死です。
でも、先月に同じような質問をされた時、即座にあるタイトルが頭に浮かんだものの、それを口にすることができず。

う~んと唸るだけで終わってしまいました。
(今考えたら、適当に過去の既読本を言っとけば良かった…)

 

 何故タイトルを言えなかったのかって?
だってそれは、聞く人によって拒否反応が出そうなワードが入ってるから。
 
その本のタイトルは『科学者はなぜ神を信じるのか』。

初対面の人にこれを言うと、色んな意味で警戒されそうだったので、躊躇しちゃったんです。


 本を書いたのは、物理学者でありカトリックを信仰する三田一郎さん。
ある時に高校生に言われた
「先生は科学者なのに、科学の話で神を持ち出すのは卑怯では?」
という言葉に対し、回答代わりとして書かれたようです。

 私もオカルトや占いは好きですが、多くの学者さんがそういう類を科学や医学・心理学観点から否定しているのも知っています。
なので、「物理学者にまでなった人が宗教を信じる根拠って何だろう?」という謎に興味が湧き、この本を手にとったのです。

読んでみれば下手なオカルト否定派より冷静な視点で書かれていて、物理学者と宗教の感覚の違いを詳細に述べているという、浮ついたところが一切無い内容。

途中で「あれ?これ神様を信じてる人がその理由を書いてる本だよね?(汗)」と、こっちが心配する程です。

 

中身を簡単に説明すると、最初の章では宗教の歴史に触れていて。
その後はピタゴラスガリレオアインシュタインホーキング博士など、超高名な学者さんが宗教(主にキリスト教)とどう関わってきたのかなど、年代を追いながら最終章(恐らく2017年頃)まで語られていきます。

また、同時に彼らの考えた理論を初心者向けに噛み砕いて説明してくれる為、私のような文系は勿論、物理学に興味のある人でも十分楽しめる構成になってるように思います。
なるべく客観的に、科学者達に起こった当時の出来事、論争を書いているのも好印象でした。

 

ただ…、たま~に三田さんの見解が入るのですが、無神論者の人はそこで「ん?」となる可能性はあります。
例えば、ホーキング博士が神は存在しない旨を述べたことに対しての見解とか。
神が存在してたら良いなと思う私でも、「少しだけ希望的観測がありそうな…?」と感じた箇所があったので。

(物理学に詳しい人が読んだら、また違う印象になるのかもですが)

とはいうものの、最後の締めくくりの回答は、やっぱり物理学者らしいものだったので(動機の根っこはプラズマの大●教授と似ているのかも)、神を信じる人も信じない人も読んでみてほしいなと思う本です
 

ちなみに。

私がこの本で驚いたのは、1900年代でも神の存在を含めて理論を組み立てたり、それをする事に寛容な物理学者が割といたんだな、ということ。
あの有名なアインシュタインは、神が存在する(かもしれない)前提で理論を生み出していたらしく、その件について歴史的な高名の科学者達が、ホテルのロビーで軽く議論をしたそうなのですが。

その会話内容が、神や宗教など神秘的な要素を完全否定する科学者(名前忘れた)がいると思えば、
「神秘要素込みの理論であっても、正しい答えに辿りつけることは可能なのだから、
(自身が神を信じてるかは別としても)否定はしない」
という科学者(名前忘れた)もいたような感じで、神秘的なものに対する価値観は物理学者でも人それぞれだったのが窺えました。
その時の神秘容認派には、なんだか「過程より結果が全て」な印象も受けますが、新しい法則を見出す学者さんらしいな、とも思います。
※まあ、現在の科学者の考えはまた違うのかもしれませんが。


 …ということで、科学の歴史のお勉強にもなる本ではあるんですが、初対面の人に上記を説明しても益々引かれる気がするので、やっぱりタイトルを言わなくて正解だったかもしれないと思う、今日この頃です。

 

ミスティックアーク

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女主人公のデザインが好き。


 

 FF7やMOTHERと同じくらい好きなRPG

ファンタジーに疎い私でも、このゲームの7つの世界観にはドハマリしました。

デザインも音楽も何もかもがハイセンス。

特に音楽はスーファミRPGの中で一番だったと個人的に思うほどの凄さ。

このゲームでエニックスさんの印象が一気に変わったなあ。

もう一度記憶を消して遊びたいです。

 

続編のまぼろし劇場は…フランケンシュタインのような博士が出てくるステージで詰まってしまい、クリアできずに終わってしまいました。

 

 

 

隻狼プチ考察11:源の宮の人々が仏教を嫌ってそうな理由って

 

 

 霧の幻で、水生村の人々を惑わせていた霧ごもりの貴人。

彼の居座っていた廃寺の木には、僧侶と思わしき人が逆さ吊りにされており、寺内部でも仏像にお札が沢山貼られていて、まるで仏の加護が発動しないようにしてた様子でした。

また、水生村の神社の建物内でも仏像らしきものが破壊されてたりなど、どうも貴人…源の宮の人々は、仏教に憎しみを持っているフシが見受けられます。

 

しかし、源の宮の人々の恰好を見れば平安時代あたりで時が止まってるようで、屋敷には北斗七星の描かれた式盤が置かれていたのを見ると、彼らは陰陽道が基本のようです。
ということは、もともと神仏習合の精神は持ち合わせてた人達なわけで、本来なら仏教を目の敵にすることはないわけです。


では、彼らが仏教を忌む気持ちはどこから来ているのか?と考えると。

恐らく、源の宮の人々の目的と桜竜の目的が相反してることが関係してるんじゃないかと思うんですね。

先に結論を言っちゃうと、「彼らが仏教を忌むのは、葦名の仏教の象徴である仙峯寺の目的が『桜竜を帰郷させる為』であることを知ったから

ではないかと思われます。

 

要するに、「永旅経・竜の帰郷の章」が記された時から、源の宮の人々は仏教を忌むようになったのではないかと。
 

 神域で桜の跡?を祀っていたり、竜の舞面の説明で「竜に舞を捧げるため」と書いてあるように、源の宮の人々は桜竜を崇めているのが分かるのですが、有難がっている理由は桜竜の影響による永遠の若さへの執着だと思われるんですね。
(源の宮にいた姉妹や壺の貴人・春長の台詞を聞くとね)

彼らは桜竜がずっと仙境に居てほしいと思っており、桜竜が元の場所へ帰ることを望んでない可能性が高いのです。

 

しかし、仙峯寺の目指す「竜の帰郷」が行われれば、仙境から桜竜が居なくなる為、不死の恩恵が受けられなくなるかもしれません。

 だから、帰郷を望む蟲憑きの象徴である仙峯寺=仏教を忌むようになったのではと思います。

 

 また、破戒僧の説明で「源の宮の門を永く守らせるなら死なずが丁度いいだろう」という記述から察するに、恐らく力関係は「源の宮>蟲憑き」だと思われるのですが。

もし経典通りなら、桜竜にとって正しいのは蟲憑き(仏教)の方にあることになり、そうなると源の宮の立場が無いわけで。

飛鳥時代蘇我氏 vs 物部氏ではないですけど、今までの上下関係というか勢力図が変わりかねない危険がある、ということもあったのではと思います。

 源の宮の門番である八尾比丘尼が「破戒僧」と呼ばれるようになったのも、蟲憑きなら竜の帰郷を願わなければならないのに、帰郷を反対する側の源の宮に使役されていたから、という理由だったのかもしれません。

 

以上、今のところ考えられる理由でした。

 

…隻狼のアップデートまでに源一郎と一心のやつをUPできればと思ってたけど、このペースじゃ無理かも;。

急遽ついったー用の仮アイコン作った。

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本当はオシャレな写真をアイコンにしたかった。



アイコン無しのツイートは怪しまれると聞いたので、今になって慌てて描いてみたけど、何となくどこかで見たようなデザインに…。

元ネタあったらどうしよう。

 

とりあえず仮アイコンにします。

 

隻狼プチ考察10:回生の力と国盗り戦と


 

 弦一郎と一心の考察を書いてみたら、他の考察も語る必要が出てきてゴチャゴチャになってしまった。
なので、整理する為に考察を分割しようと思います。
ということで、まずは回生に関するぷち考察を。


 狼は九郎との不死の契りによって、その場で生き返る能力「回生」を得ますが、この力は3年前から使えていたわけではないようです。
というのも、不死となり最初に親しくなる人物…仏師と出会うまでは、彼が生き返る…というか、活動できるまでの時間がとても長いためです。


その様子をまとめると、


①例の夜から3年間「腑抜け」状態が続き、花菖蒲の文によりやっと覚醒する。

②と思ったら、夜も明けない内に弦一郎に敗れ倒されてしまう。
  仏師曰く「屍かどうか分からない」ような状態に。

③やがて荒れ寺で目覚めると、仏師殿に「拾ってから随分経つぞ」と言われる
 (恐らく②と③の間に葦名と内府は一度交戦している)


というような感じ。
③の仏師登場後からは、その場で復活…回生が使えるようになります。

 

これらが意味するのは

「自力で復活するには長い期間を要するが、不死の契約後に誰かと交流すると、次回はその者の生きる力も奪うことで復活を早めることができる」

ということなのではないかと思われます。

 

なので序盤の交流者が仏師殿一人だけの場合、2~3回死んだ辺りで仏師の竜咳イベントに突入することに。
また、野上親子や穴山など交流する人物が増えていくと、彼らが奪われる力の量も軽減されていき、竜咳になるまでの猶予も長くなります。


 ところで思い出すのが、エマが言っていた「かつて葦名に竜咳が広まり、誰も助からなかったと道玄から聞いた」というような台詞。
この言葉から、流行ったのは道玄が存命中でエマが物心つく前の時代であると推察され、当時に竜胤と契約した者と言えば「巴」を思い出すのですが。


ここで少し疑問なのは、葦名に竜咳が流行するほど、巴は沢山の葦名の民と交流し、そして何度も死んだのか?ということです。

人付き合いの方は彼女が外交的な性格だったと考えれば何とか辻褄が合いますが、病を流行させるほど回生したと言われると、「巴って一心が一目置くほどの剣士だったのに、そんな女性が何度も死ぬなんて、いったい誰と戦ってたの?」と思うわけです。

なので、まず思いつくのは、巴が一心の助太刀として戦に参加していたということ。
そして、敵将の田村とその配下の強さが、蟲か何かの影響で人外だった可能性です。

というのも、OPの全盛期一心と田村の戦いは互角(多分)だったことと、その時に持っていた一心の刀の鍔が、黒の不死斬りと同じっぽかったから。
敵軍が不死者やそれに近い存在だから不死斬りを使っていたのだと考えると、巴が苦戦したのも納得できます。

 

ただ、そう考えても巴の死だけで国中に病が流行するほどの影響を及ぼすのはやっぱり少し苦しいかなと思うので、更にもう一つの可能性を言ってみると。

あの国盗り戦に参加した竜胤と契約した者は、巴1人では無かったのではないかということです。
不死の契約を交わした者が複数人いれば、それぞれが回生を行うことにより病を流行らせることができますし。

全員が丈と契約したのか、それとも当時は他にも竜胤の御子が何人もいて各々と契約していたのかはよく分かりませんが、戦の為に竜胤の御子とその契約者が動員されたのかもしれません。

 

で、ちょっと話がズレるのですが、多分この戦の時から葦名衆は変若水を利用していたのではと思うのですね。
道玄がかつて変若水を調べていたのは、個人的な研究というより、戦に勝つ為の研究だったんじゃないかなと。
でも、当時の効能では赤目になるまでには至らず、水生村の村人の幽霊状態の一歩手前ぐらいの段階で止まってたんじゃないかなと思います。

葦名衆の強者のほどんどが忍殺2回必須だったのは、それの影響だった可能性があります。


そして、黒の不死斬り(多分)を一心が使っていたのは、田村を殺す以外にも「何か」を黄泉返えらせる為だったと思われるのですが。

 

これ以上は長くなるので、今回はこれまで。

「コブラ会」のちょっとだけ感想


 気が付いたら、最後の更新から一か月以上が経っていた。

 

 ということで、先月視聴した「コブラ会」についてちょこっと感想を。

コブラ会」とは、「ベスト・キッド」の約30年後を描いた連続ドラマであり、かつて主人公のダニエル&ミヤギさんが戦った悪の空手道場の名前でもあります。
 そしてタイトルが示唆するように、今回の主人公はミヤギ流(剛柔流らしい)のダニエルではなく、かつてダニエルをイジメてたコブラ会の門下生ジョニーであり、社会的に落ちぶれた自分の人生再起と、隣に引っ越してきた心優しいイジメられっ子の少年のため、再びコブラ会を復活させるという物語であります。

元主人公のダニエルも、ジョニーと同じぐらいの頻度で出てくるのですが、今回は社会的成功者(自動車ディーラーの社長)の立場であり、何かと勝者の余裕を見せる描写がある為、彼よりジョニーを応援したくなるような流れとなっています。
 ただ話が進むにつれ、ダニエルの方も高校時代のジョニーに植え付けられたトラウマをまだ克服できてないことが判明するし、また、かつてミヤギさんの言った「空手も人生もバランスが大事」という言葉をもとに、物語がミヤギ流とコブラ会の共存、ダニエルとジョニーの和解を最終ゴールとしているような意図が感じられる為、ベスト・キッド好きも納得できるのではないかと思います。

 
 …と偉そうに言ってる私ですが、実は「ベスト・キッド」って、幼い頃にテレビで1や2を視聴したっきりで、あんまりダニエルやジョニーには思い入れの無い(というか忘れてる)状態だったんです。
 
そんな私が「コブラ会」を視聴した感想ですが…
第一シーズンの途中までは面白いんだけど、ミゲル以外の少年少女までフォーカスされ始めてから微妙になっちゃいました。

 元々ベスト・キッドって、ダニエルとミヤギさんに焦点を当てた話だと記憶してるんですが、この「コブラ会」だと途中まではジョニーとミゲルがその役割を担い、元祖と同じ構成となっていたものの、ロビー、サム、ホークなどの高校生組が詳しく描写されるようになると、主人公ジョニーに割く描写の配分が、他の登場人物とあまり変わらなくなっていって…。

構成が群集劇に近い形へと変化した為、自分の中で「ベスト・キッド」の続編という認識が、段々薄れていくのを感じました。

 とはいうものの、第2シーズンのラストのスクール大乱闘は(作風に合ってるかは別として)盛り上がるし、ミゲルの●●●で終わったのはズルイけど、続きがとても気になってしまう。

なので3シーズンも結構楽しみです。

♦追記。

肝心なことを書き忘れてた。

コブラ会」の一番いい所って、「ベスト・キッド」の俳優達が同じ役で続投して、当時の俳優が主人公達である所だと思うんですよね。

21世紀に入ってから映画のリバイバルが活発だけど、なんていうか、前作と同じ主人公でも演じる俳優が違ってたり、新キャラの主人公にちょっと絡んでくる隠居的な存在だったりとか、ファンがいまいちノリ切れない微妙な配役、設定だったのが多かった気がします。

勿論、当時の俳優が亡くなってたり、オファーを断られたとかで、色々な理由があって同じ俳優をキャスティングできないって事情もあるんだろうけど。

ファンの1番の理想って、やっぱり当時の俳優達が同じ役を演じて原作のテイストを完全再現することだから、今回の「コブラ会」がかつて「ベスト・キッド」を観た人達に評判が良いのは当然であり。

また、大ヒットした原作のテイストを再現してるわけだし、新規ファンが増えるのも確実だと思います。

やっぱりね、映画でもなんでも原作ありきの作品って、製作スタッフが原作を愛してるのか、リスペクトしてるかは見るとすぐに分かりますよね。

作品の大事なツボを的確に押さえていて、変えるべき所とそうでない所の見極めができてる。

コブラ会」は原作のテイストをそっくり再現しつつ、新しい世代の価値観を上手く組み込み、新旧交代をスムーズに行えている、理想のリバイバルだと思います。

 

そういえば、シーズン3でアリが登場しそうな雰囲気だったけど、彼女もエリザベス・シューが演じるんだろうか。

今はそこそこ人気ハリウッド俳優もドラマに出るのは珍しくないので、ありえなさそうでありえそうだけど。

半沢直樹を2シーズンから観てみたけど

 脚本と演出と俳優さんの演技が凄いなあ。

第1シーズンの時は食わず嫌いで観てなかったんだけど、今回2シーズンを視聴して、最終回で視聴率が40%越えだったという理由が理解できてしまった。

起承転結も毎回しっかりしてるし、展開の緩急をつけるのが上手い。

演出は地味ではあるんだけど、毎回OP音楽への導入や場面転換が良い感じで編集されてる。

政治経済に疎い私でも「さすがにこれは現実的じゃない方法じゃないの?」と思う場面はいくつかあったんだけど、視聴者を不愉快にさせるような類のものではないので、それも流すことができる。

 

いやほんと、ここ10年以上、日本のドラマをナメてました。ごめんなさい。

このドラマで悪役になりたい俳優さんはたくさんいるだろうなあ。