MOTHER3をプレイするためだけにゲームキューブを購入した阿呆です。
だって携帯機の小さな画面より、テレビの大きな画面で3をプレイしたかったんだよ〜。
それにバイオ0とリメイク版も購入できたし、損な買い物ではなかった…はず!
そんなわけで、29型の大画面で(DSの液晶画面に比べたら大画面だ!)3をプレイするという、贅沢な夢を実現させた私の感想はというと…。
私って、今までスーファミ時代のRPGで涙ぐんだことなんてなかったんですよ。
特に「死」に関しての感動には、全く心を動かされなくて。
例えそれがどんなにお気に入りなキャラであっても。
かといって、「生」に関する感動にも「ふ〜ん」と冷めた目でしか見れなくて。
ドット絵のキャラがどんなにお涙頂戴の演技をしても、私から見れば「単なる記号がなにやら喜怒哀楽の表現をしているぞ。細かいな〜」くらいの感慨しかないわけで、キャラクターの設定や台詞にのめり込むことは出来ても、キャラの織り成す感動劇には全く感情移入できなかったんです。
さすがに色んな演出や効果が可能になったプレステだと、いくつか涙腺が緩んじゃったゲームはあったんだけど。
だからスーファミ時代の演出では、人を感動させることなんて無理だろうと思ってたんですよ。
だけどね、今回のMOTHER3で、そんな自分のジンクスが破られてしまったんです。
一つ一つの「親子」「家族」を思い起こさせるイベントに、目頭が熱くなっちゃって。
特にラストバトルでは鼻がツーンとしちゃいました。
前作2作に比べるとボリュームはないし音楽は変わっちゃったし世界観も違っちゃってますが、糸井さんの凄さが本当に分かったのは3です。
この方って、雰囲気作りが本当に上手い人なんですねえ。
どんなに世界観が魅力的だろうが、キャラが立っていようが、台詞回しが良かろうが、ゲームに漂う雰囲気がなければ、その魅力は半減してしまう。
これってゲームに限らず、日常でもよくありますよね。
例えば、面白いと評判の人が最初に思いっきり場を盛り上げて、そして和やかな雰囲気が出来上がったら、その人が大したことを言わなくても、周りは雰囲気に流されて笑ってしまうという感じ。
あの呼吸が、MOTHER3に意図的に入れられてる気がするんです。
もしあのイベントにその雰囲気がなかったら、今回の3は絶対泣けなかった筈。
心に訴えかけるような演出をすることのできる糸井さんは、本当にコピーライターとして凄い人なんだなと思いました。
3は前作の2と違って、とことんダークな設定になってます。
多分、2で子供達の周りから影の部分を排除した分、3の子供達が大人と一緒にその影の部分を受止めることになったんでしょうね。
だって3の事件の黒幕は、ギーグではなくポーキーだから。
2をプレイした当時はポーキーのことをあんまり考えなかったけど、3で彼の役割がようやく分かった気がしたんです。
彼、2の子供のすぐ側にいる大人の影の部分を、全て背負ってたんですね。
汚いものから目を逸らすことも出来ず、全て見てきたんですね。
大人になる前に、負の環境に潰されてしまったんですね。
ポーキーのやったことは子供であっても許せないし擁護する気もないけど、ああいう経緯もあったんだということは、心の片隅に留めておいてあげても良いんじゃないかなあ。
でもアンドーナツ博士のアレは、さすがに引く…。
2がとことん明るくて子供に優しい表現になっていたのは、3でその裏の部分を描くためだったからなんじゃないかと思います。
なので、今まで2には「これって本当にあのMOTHERの続編なのかな〜…?」という気持ちを抱いてたんですけど、3が出てきて、2もMOTHERだったんだと納得することができました。
2と3は、表裏一体のゲームですね。(私の中では)
…でもここまでくると、ほとんど妄想解釈ですけど…。
ところで最近ケータイの機種変をしたので、愛のテーマを再びダウンロードしたくてサイトに行ってみたら………なかった。
私の探し方が悪いのか?