こつぶがゴロゴロ。

主にネタばれ感想を呟いてます。

マッドマックス 怒りのデス・ロード の感想


 やっと観ました、マッド・マックス2のリメイク版。
1はなかったことにされてるのかと思いきや、元警察官という設定をしっかり拾ってて、ちょっと笑ってしまった。


 ストーリーは…正直に言うと特筆するものが無かったのですが、これはまあ原作でも同じようなものだったのでいいとして。

カーチェイスとアクションに関しては、メル・ギブソン版より数倍レベルアップしてたし、カーチェイスシーンと音楽のシンクロも「ターミネーター2」並に凄くて、迫力満点な映画となっている…はずなんだけど。

観ている間、ずーっとつきまとう違和感が。

演出もBGMも文句ないレベルなのに、絵面に薄味というか物足りなさを感じてしまったのです。

何故だろうと不思議に思ってたら、中盤辺りで敵の8割ぐらいが丸坊主かスキンヘッドであることに気付きまして。


つまり、モヒカン頭とアーマー付き革ジャン要素が足りない。

 

 メル・ギブソンのマッド・マックス2は、「アーマー付き革ジャン(しかもタイトなやつ)を着た主人公が、同じくアーマー付きヘヴィメタファッションのモヒカン頭と戦う」という図がインパクト大だったわけで。

今回は、ジョー配下の敵が全員スキンヘッドであることと、原作のモヒカン並に強烈なキャラクター性を持ったライバルがいない為に、映像もアクションも音楽のシンクロ率も高レベルでありながら、インパクトの薄い映画となってるように思いました。

 一方主人公のほうも、原作とは違って上半身も下半身もタイトな服ではなくなった為、平凡なビジュアルに。
更に、今回は主人公マックスの逃亡よりフュリオサのカーチェイスの方がド派手で印象的だったのもあり、主人公としての存在感もいまいち。
フュリオサが出てきてからは、「主人公フュリオサに力を貸す助っ人の脇役マックス」で収まってしまったように感じました。

 

 とはいうものの、今回の感想になったのは原作を観たことがあるからで、リメイク版が初鑑賞だった人にとっては、物足りなさも感じず只々楽しめたのではないかと思います。


 なので、今回はキャラクターの印象の薄さを除けば、良い感じに仕上がったリメイクであると思います。
カーチェイスシーン目当てにリメイク版を観ても損は無いかも。

 

 …それにしても、マックス役のトム・ハーディはいつからあんな渋い顔になったんだろう…。

 

妖怪道士 の感想。

 

  私が物心ついた頃に観た、香港のホラーコメディカンフー映画
個人的に思い入れのある映画のひとつであります。


VHSパッケージがオドロオドロしい雰囲気のイラストだったので、観る前は少し怖気づいてたのですが、ビデオを再生すると「テンポのいい展開」「手品を題材にした『魔術』の演出」「カンフーアクション」の3つに目が離せなくなり、ワクワクと楽しんで観ることができました。

 

粗筋としては、

 昔々、ある道観で封印されていた魔王が、監視役の老いぼれ道士の不在時に脱獄してしまいました。
道士の不在だった理由が「監視をサボり大好きな酒を飲んでいた」ということも相まって、道観のお偉いさんはとうぜん激怒。
責任とって魔王を捕えてこい!とドヤされた道士は、しぶしぶ魔王を追う旅に出ることになりました。

 一方、ある町では、嫁さん探しで揉めている祖母と孫の青年がおりました。
彼らは武術と魔術に長けた一族なのですが、代々生まれてくる子供は何故か男子1人のみ。
なので祖母は「早く結婚して子供を成せ」と青年に見合い話を沢山持ってくるのですが、乗り気でない青年はのらりくらりと逃げていました。
そんなことをやっている内、とうとう堪忍袋の緒が切れた祖母が「嫁さんを見つけてこないと死んでやる」と言い出した為、青年はしぶしぶ嫁さん探しの旅に出ます。

 そんな事情で一人旅をしていた道士と青年は、奇しくも同じ町に辿り着きます。
そこでは、町の大金持ちが娘の婿探しの為のオーディションを開いておりました。
娘の美しい横顔をチラっと見た青年は、張り切ってオーディションに参加するのですが。
実は、魔王が生贄を選ぶ為に大金持ちに仕組ませた罠であり…。

 という感じ。

この映画の監督であるユエン・ウーピン、道士役のユエン・チョンヤンは、後にマトリックスチャーリーズ・エンジェルなどのアクション指導で、ハリウッドでも有名になった兄弟。
また、青年役のサイモン・ユエンも2人の弟であり、ユエン・アクションチームのメンバーとして武術指導を行っていたらしいです(付け焼き刃知識)
そんな彼らが、まだワールドワイドで有名になる前の映画、ということになります。

 話も小道具も演出も、今観るとやっぱり大雑把というかチャチな部分が目立つのですが、それでも娯楽のセンスは抜群なので、観ている内に全く気にならなくなります。
むしろ、当時のチープさが絶妙な味付けとなっていて、下手なCG効果よりよっぽど目を惹く演出に。
作中に使われる術(手品モチーフ)に関しても、札をストロー状に丸め、壁に描かれた酒の絵に刺すと本物のお酒がジョロジョロ出てきたり、お小遣いのお金が手から沢山湧いて出たり、飲み物の色を赤や青に変えたりと、子供が思い描く夢の魔法が再現されていて、とてもワクワクします。
大人になった今、手品には必ずタネがあると理解していても。
あのシーンを見たらやっぱり引き込まれてしまいます。

 そして、クライマックスのリンキングリング(チャイナリング)を絡めたアクションは、本当に必見。
よくこんな発想を完全再現できたなと思うし、リングを使ったカンフーの振り付けを考えた人(監督かな?)には、ただただ脱帽です。
そりゃあハリウッドから声が掛かるよね、と思っちゃいます。

 他の見所としては、作中に出てくるお酒が凄く美味しそうに表現されている、というところ。
主人公の道士が酒飲み設定なので、飲酒やお酒を注ぐ場面がよく出てくるのですが、注ぎ方がシャンパンタワーのようで綺麗だったり、何より道士役のユエン・チュンヤン のお酒を飲む様が、本当に美味しそうに見えるのです。
それはもう、普段お酒が好きじゃない私も、映画を観た後にカップ酒を買いに出かけてしまうくらい(勿論、成人後に再視聴した時の話です)
酒好きな人にも、もしかするとたまらない映画なんじゃないかと思います。

 1人で観るのも良し、子供や友人など大勢で見るともっと良し。
頭を空っぽにして楽しめる娯楽映画なので、オススメです。
ただ、そのぶん話の流れが雑なので、その辺はあまり期待しない方がいいのかも。

ちなみに。
この映画には続編もあるんですが、登場人物が同じでも全く別の話になってたような記憶が…。
子供の頃に観たっきりなので、あやふやなんですけど。
もう一回観直してみたいな。

本当に、あの頃の香港アクション映画は面白かったです。

FF7リメイクのキャラクターについて。

 前回はリメイクの全体的な感想を書きましたが、今回はキャラクターの感想を。これでFF7リメイクの感想は終わりとします。

※主要人物のみです。Twitterでつぶやいたものに追記してます。

 


クラウド

 原作の頃から1番好きなキャラクター。
彼が主人公でなければ、リメイクは7番街スラムについた時点で投げ出していました。
クラウドさん、ありがとうございます。

 リメイク版の彼は、妙におどおど、どぎまぎするのが多くて心配になりました。
アパートの大家に言われて「えぇ…」という反応とか、セフィロスが出てくる度に怯えるとか。
個人的に原作の前半クラウドは、元のプライドの高さも相まって、他人には弱さ(柔らかさ)を見せぬよう全力を注ぐイメージがあったんです。
彼のギャグシーンも、普通の人ならどぎまぎするところを、クラウドは意地を張ってクールに自信満々に対処しようとするから、それがおかしくて笑えてしまう、という感じ。
年相応の男としての気概を、ちゃんと持ってた気がするんですね。
これは16歳の彼だって同じでした。
でもリメイクのクラウドの素は、原作の16歳の彼とも違っていて、もっと子供っぽいというか気弱な印象を受けます。
このまま精神世界のイベントをこなすと、クラウドが原作よりほわほわした性格になるんじゃないかと心配になるほど。

また、今回のクラウドは女好きって感じがしないのも残念。
原作ならジェシーに誘われた後「この先は危険だ」の他にも「行くぜ!」な選択肢が出現して、喜び勇んで入室するとジェシーと同居人の女の子達に変質者と罵られ叩き出される、みたいなイベントがありそうなのに。
蜜蜂嬢に腕を触られて邪険に振り払うところも、原作のクラウドならされるがまま鼻を伸ばしてそうなのにな、と残念に思いました。

それと、リメイク版のクラウドって一般兵時代に本社に来たことのある設定になってるのかな?
原作では本社には来たことないと言ってた気がするんだけども。
他のキャラ達もそうなんだけど、今回のキャラ設定は原作とはあべこべになってる箇所が多いですね。

 まあ、そんな差異の数々も、今のところはまだ我慢できる範囲ではあるんですけど。
ただ、やたら落ちそうになってティファエアリスに助けられるシーンが多かったのはなんで?
誰に向けたサービスシーンなのあれは?

 

   
ティファ

 原作の少女らしさと健全な色気が消え、カマトトぶった壇〇さんのようになってしまったリメイクのティファ。
原作では戦闘終了後にやってた伸びの仕草を、今回はクラウドと2人きりの時にねっとりとやっていて。
戦闘終了後の「シャワー、浴びたいな」の台詞も、原作のティファならもっと溌剌とした言い方をしそうなものなのに、こっちもねっとりとした言い方に。
そんなティファを見てると、制作中に女性スタッフは誰も咎めなかったのかと不思議に思ってしまいます。

原作の彼女は物語後半でベタベタした本性を出してはいたけど、不健全なねっとり感はなかった筈なんだけどなあ。

 また、ねっとりとクラウドに絡んでくる一方で、彼に疎外感を与えるような場面が目立ったのも気になりました。
これに関しては、彼女の性格というよりは制作側の問題だと思うけど。

私はクラティが好きなので、クラウドとティファの絡みが増えるのは嬉しい…はずだったんだけど、上記のことが引っ掛かって素直に喜べませんでした。
その絡みのシーンもやっつけ仕事みたいな雑っぽい感じで微妙だったし。
お互い初々しい、もじもじ感を経て徐々に距離を縮めていくような、そんな丁寧な描写が欲しかったです。

それと…、これはエアリスやジェシーにも言えることだけど、みんな口紅をつけてないのは何故?
ナチュラルメイクのつもりなのかもしれないけど、それが行き過ぎてる気がして。
原作のティファ達は、もっと濃い目のルージュを引いてるイメージだったから、なんだかなあと思いました。

 

 

エアリス

 原作の勝気でエネルギー溢れるエアリスとは違い、リメイク版ではどうもフワフワしてて芯が通ってなさそうな印象を受ける彼女。
そして、原作とは違って先の展開を知ってるような台詞もよく出てきます。
クラウドと出会ってフィーラーに囲まれた時は「これなんなの?」と恐れ戸惑っていましたが、再会後はその先の展開を知ってるような素振りを度々見せてきます。
最終章になる頃には、運命の壁がどーのこーのと言い出し、クラウド達どころかプレイヤーである私ですら置いてけぼりにするまでに。
そんな彼女が言うには「セフィロスは星と自分しか大切じゃない、だから間違ってる」らしいです。
恐らく、エアリスは星が自然の摂理で滅ぶのは仕方ないと受け止めていて、星の意思を尊重したいという前提で動いているのではと思うのですが。
今回はエアリスの意図がぼかされ過ぎていて、ラストバトルも何のために戦ってるのかはっきりせず、EDは個人的に微妙な締めくくりとなってしまいました。

 それと、少し気になる点が。
別れ展というイベントで公開されてたらしいエアリスのセリフで、「私も空に消えるんだ…」という言葉があったのですが。
聞くところによると、これはCCのエアリスが空を怖がるという設定を意識したものらしいのですが、「私も消える」ってどういうこと?
もしかして、CCとリメイクの世界のエアリスは、死後ライフストリームで意思を保ち続けることができない設定なの?
単なるノリで考え付いたフレーズの可能性もあるので考察はしませんが、ちょっと引っ掛かりました。

 

 

バレット

 原作と違って、初っ端からクラウドに対して割とフレンドリー?な彼。
リメイク版のバレットは、クラウドに対して警戒心があまり無いように思います。
また、セトラと約束の地に関する知識も、原作ではプレジデント神羅に説明されて初めて分かったようなフシがありましたが、リメイクでは最初から知っていた様子でした(逆にクラウドは、現時点では5年前に知った古代種と約束の地の知識は思い出せてない様子)

 そして、バレットがアバランチに入った動機は「村をスカーレットに焼き払われて神羅が憎いから」という理由だったはずなんですが、今回の彼はそれを匂わせるような薄暗い所があまりなく、本気で星命学に傾倒しかかってるんじゃないかと思ってしまいます。
まあ、本家アバランチも原作と違って大規模な組織のままだし、ウータイと組んでるみたいな設定も出てきたし、色々差異があるんだけども…。
(誰かの台詞でウータイがマテリアを全部回収してるっていうのがあったけど、ユフィが本家アバランチと手を組んでるってことなんだろうか)

サングラスにやたらこだわってるのも、リメイク版で何か理由付けされてるのかな。
…そして、魔晄炉爆破とそれ以降のテンションが別人レベルで違ってたんだけど、これは何か意味があったんだろうか。

 

セフィロス

 リメイク版のセフィロスは、初登場時は「星が静かにゆっくりと死んでしまい、消えてしまう」と言い、EDでは星雲らしきものを見上げて「我々の星はあれの一部になるらしい、俺は消えたくない」と言います。

原作にはなかった設定がセフィロスに付加されているのは明らかで、「じゃあこいつは何がしたいんだ」と考えてみると。

 元々はアドベントチルドレン(以後AC)で言ってた通り、「星を船にして宇宙をスイスイ泳ぎ、新しい星が見つかったら船をぶつけ、その星のライフストリームを自分のものにする」をやりたかったのではと思われます。

前回の感想で書いた通り、星雲の衝突か何かが数億年後にあって、星はそれに巻き込まれるか、又はその前に寿命が尽きるかのどちらかであり、星自身はその運命を受け入れてるのだけど、セフィロスは星の軌道を変えて星雲から逃れようと考えてるか、もしくは星の寿命が尽きる前に近場にある星へ移動しようと考えてるんじゃないかと思いました。
しかし、何らかの理由で星を操縦することができないセフィロスは、その原因を取り除くためにリメイク版の世界で星を操縦できるよう、運命を変えようとしているのではと。
そして、同じくライフストリームに溶けずにいるエアリス(原作ver)が何らかの邪魔をしてるのではと思われるのですが、恐らくそんな彼女を止めるためにクラウドが必要なのかなと、今のところ解釈してます。

なので、今回のセフィロスは原作後(最低500年以上後)or AC 後の彼であると思います。

…ただ、この解釈だとセフィロスの存在が小物化するような気がして微妙ですね。

 


レッド13

 今回の彼は、本当に印象が無かった。
強いて言うなら、らんまとあかねの声優さんが共演?してるんだな、ということぐらい…。
500年後の映像を「私たちが捨てようとしている風景」と言ってたけど、レッド13はあの風景の意味を理解してなさそう。

 

 

以上です。

アルティマニアは買ってないので、それの情報を抜きにした感想でした。

リメイク版のキャラクター達の性格と細かい設定は、ほぼ全員が原作から変わっているように思います。
あんまり変わって無さそうなのはウェッジぐらいかな?
ジェシー&ビッグス&ウェッジについては、気が向いたら追記するかも。
…本当は、女キャラで一番好きなのはジェシーなんだけど、性格が変わりすぎていて何とも…。

 

FF7リメイクの感想。

 ※ プレイ日記を書いてみたものの、ずっと愚痴を言い続ける日記もなんだかなあと思い、クリアーしてから感想を書くことに変更。

Twitterでつぶやいたものもまとめます。

 

ということで、今回はクリアー済みの感想です。

期待を0以下まで下げていたお陰で、アドベントチルドレンの時のように激怒することはなかったのですが、それでも思うところがたくさんあったので、心の整理も兼ねて感想を書こうと思います。


 今回のリメイクもコンピレーションと同様、FF7を面白いと思ってない人達が「こうやったら面白くなるだろ!」と色々弄って劣化させたような感じに仕上がっています。

 

 原作に近いシーンならまあ妥協して遊ぶことはできます。
でも、原作に無かったリメイクオリジナルの部分(これが今回多過ぎる)は苦行レベルでつまらない。
5番魔晄炉や神羅ビルで追加マップと戦闘イベントを連発された時には、殺意に似た気持ちを抱きました。
しかも、原作では雑魚敵だったモンスターがボス敵となっており、戦闘中にどうでもいいカットインが入ってくるせいで、原作を覚えている人ほど煩わしさを感じて「余計な手間をかけさせるな!」と言いたくなる作り。

 

街並みや通行人達も、現代物の洋ゲーに使っていた素材を再利用したのでは?と邪推するほどクラウド達の恰好と乖離していて、とても「あの」FF7の世界観だとは思えません。
唯一FF7を思い起こさせたマップはエアリスの家ぐらいですが、後は魔晄炉だ、セブンスヘブンだ、神羅ビルだと言われても、懐かしさは皆無でした。

 

 演出に関しても映像が豪華なだけで、カメラワークやカット、音楽は完全に原作の方が上。
素直に原作通りの演出にすれば見栄えもテンポも断然良かったと思うのに、何故そうしなかったのか不思議。
もしかして、今回は元のFF7と同じ表現方法を使ってはいけないという縛りでもあるんでしょうか?

それと、世界観と演出がどうもサイコブレイクを彷彿させるのは気のせい?

例えるなら、STEMのコアとなったセフィロスが構築した世界で、STEMに繋がれたクラウド達がFF7の話を繰り返そうとしてる感じ。
なにか影響を受けてるのかな。

 

 モブキャラ達の会話に関しても、今回はただの雑音でしかなかったのが残念。
リメイク版だと「モブ同士が勝手に喋ってる時にクラウドが聞き耳を立てる」というスタイルである為、モブキャラの会話を網羅するのが難しい。
原作のように「クラウドがモブに話しかけて会話を引き出す」という形の方が、RPGとして没入感があると思うんだけどなあ。


 キャラクターの操作性については、良い部分だと思う。
ダッシュの速度が速く、スタミナも関係なく走ることができていたし。
ただイベント付近になると、走る速度を制限されることが頻繁に起きていたのは残念。
戦闘時も平常時のダッシュができれば良かったと思います。

 

 戦闘は、体験版の感想で書いた時と変わらず。
クラシックで遊んだのですが、アクションだと爽快感はあまりなく、自動モードでもATBが溜まるまでの間は戦闘を眺めてる時間が長くて、どっちを選んでも「面倒だな~」という感想に。
召喚獣を使えるのがボス戦のみなのも微妙でした。


武器の強化に関しては…個人的に初期装備品のバスターソードで戦いたいという拘りは無かったので、あまり有難みを感じなかったような。

私の本命はハードブレイカーだし。

何でも屋の依頼クエストも、話を進める毎に遊ばせようとするのはやめて欲しかったです。


 そしてストーリーについて。
原作にない台詞やシーンが、全部蛇足&劣化に感じました。
しかも、プレジデント神羅をはじめとする、脇役達の「一方その頃」なシーンが多発するせいで、話のテンポが非常に悪い。
8~9割ぐらいは強制イベントにする必要が無さそうな内容だったから余計に。
ここまで映像を見せたいのなら、ゲームじゃなく映画でやれば?と言いたくなるほど。
面白いのならともかく、冗長に感じる会話と演出だからやりきれない。
これならもう、「BEYOND:Two souls」と同じ形式にした方がマシだったのではないかと思います。

 

で、一番思ったこと。
今回、完全に原作の魅力頼みでありながら、原作を馬鹿にしてるの?と思うような箇所がチラホラあるのは何故?

物語構成が原作と違い「ソルジャーを演じるクラウドの滑稽さを馬鹿にする」前提で作られているようで、プレイしていてクラウドが気の毒になる。


また、レッド13に「私たちが捨てようとしている風景」と言わせたり、赤青黄色のフィーラーの説明で、原作のクラウドティファバレット疑惑があったりなど、原作に思い入れのある人なら眉を吊り上げるような要素がてんこ盛りで、ファンに喧嘩を売ってるの?と言いたくなります。

 

…とはいうものの、現時点ではこれらにどんな意図があるのかはまだはっきりしないし、最終的に原作を尊重する方向へ着地する可能性だってあるとは思います。

 

ただし。

 

制作スタッフも、今回のリメイクで原作を否定されたと感じるファンも出てくることは、絶対に想定しているはず。


それでいて、第二部への引き込み要素に原作ファンを悪い意味で煽るようなものを入れてくるという事に、性格の悪さを感じます。
こういうところはコンピレーションの頃から本当に変わってない。
いい加減、原作ファンの感情を煽ってコントロールしようとするのはやめてください。 

とりあえず、第一部は原作の思い出の為、義理として予約購入しましたが、第二部に関しては今のところ予約は無いな、と考えています。

 

 

 では、ここからは考察もどき。

 

 …なんですが。 


FF8の時もアドベントチルドレンの時も、キャラクターの感情の発露が設定と話の流れに沿ってなかったり、これ必要だったの?と思うような設定があったりなど、エモーションを求めるあまり、話の前後の繋がりを考えずに作ったような箇所が目立っていたので、今回も真面目に考察したら馬鹿を見るだけのような気がするのですが。
それでも気になった部分をメモしてみたいと思います。

更に乱文となりますが失礼します。


①リメイクは、原作とコンピレーションの設定が半々の第三の世界だと思われるが、同一時間軸で何度も似た歴史を繰り返しているのか、平行世界の設定なのかは不明。

 

②リメイクの物語はメタ視点で書かれているようで、今回のクラウド達は「フィーラーの干渉が無いと本来のFF7の物語を完遂できない」ことを匂わせる描写が多々見受けられる。
 クラウドが原作とは違い伍番魔晄炉爆破作戦に誘われなかったり、エアリスが教会の廊下の手摺に持たれ掛かると壊れて落ちるなど。
 上にも書いた「ソルジャーを演じるクラウド」に対して、周囲(レノや宝条とか)が彼の正体を暴くような反応がやたら目立つのも、そのひとつ。
 なので、今回のクラウド達はフィーラーが干渉せず放っておいたままだと、セフィロスを倒して星を救うことができない可能性が高い。

(もっと言えば、今回のバレット、エアリス、ティファ、レッド13は、フィーラーが干渉しなければ、神羅ビル脱出後のハイウェイ逃走中にクラウドが撃墜したヘリと衝突して死んでいたと思われる)
これらに関しては、セフィロスが仕組んでいるのか、元々そういう時間軸だったのかは不明。

 

③リメイクのOPでミッドガルを飛ぶ黒い鳥がセフィロスだったとしたら、彼が運命を変える為の行動を開始したのもこの時だと思われる。
 また、エアリスがクラウドに出会った後、フィーラーのことを「何なのこれ」と言ったことを考えると、彼女の方も未来?を感じるようになったのは、OP後からなのでは。

 

④EDのザックスが生き延びたシーンは、フィーラーを倒したことにより発生した時間軸。
彼が生き延びることを望んだのはセフィロスだと思われる。
 恐らく、ザックスが生きていた方がセフィロスにとって都合の良い展開になるのかもしれない。

 

⑤ラストバトル後に原作のクラウドVSセフィロスの再現(劣化Ver)をやった「世界の先端」は、荒廃した星を思わせる。
 セフィロスが星雲を見て「我々の星があれの一部になるらしい」と言い、それを聞くクラウドの背後にも大きな星雲があるのを見ると、今回のモチーフはアンドロメダと天の川の衝突なのかもしれない。
 序盤でセフィロスが「星が悲鳴もあげず静かに死のうとしている」と言ったことも考えると、恐らく星は星雲の一部になることを受け入れてた所を、ライフストリームのセフィロスが星を無理やり延命させようとした為に、ラストバトル直前で星の悲鳴が聞こえるようになったのでは。


 

⑦花畑の夢のエアリスは、リメイクのエアリスでは無いのかもしれない。
 原作以上にザックスを引きずっていそうなリメイク版の彼女が現時点で言う台詞にしては重い気がする為。
 恐らく、この時の彼女は原作の世界でライフストリームとなったエアリスではないかと。

夢のエアリスは朝になることを気にしていたことと、オーロラは日中見ることができないことを考えると、夢の夜空にあったオーロラからやってきた可能性が。
 主題歌の「もう一度輝け」は、オーロラのことなのかも。

 

⑧捨て去る風景がどれもコンピレーションらしき映像が使われていた為、もしかすると捨て去る風景は原作ではなくコンピレーションverなのかもしれない(個人的な願望込み)

 


 今日はとりあえずここまで。

このままキャラクターのことまで語ると、本当に長い愚痴になりそうなので、それは近いうち別の記事で書きます。
寄り道イベントや選択肢を全部こなせば、また別の解釈になるのかもしれないけど、2週目を遊ぶ気力がまだ沸きません…。

※追記。

この考察メモは、あくまで「製作スタッフが原作の話を尊重するだろう」という前提で考えたものです。

FF7リメイクプレイ日記 その2

 

 7番街スラムへ戻る為に列車墓場でウロウロしてるところ。
今回のティファとエアリス、性格の違いが原作より曖昧になってるなあ。
2人とも無難なキャラ付けで差異が無くなってて、原作ほどの魅力が無くなってる気がする。
それと2人が仲良くなる描写が、ちょっとわざとらしいというか、しつこい。
女同士の友情を育むというより、恋愛的な意味で距離を縮める過程を描いてる感じがして、何だかなあと思う。
クラウドセフィロスのアレなイベントといい、二次創作界隈を意識して作ってない?
思えばアドベントチルドレンの頃から、その傾向はあった気がするんだけど…。

 

 それと音楽。
原作と同じ曲を使えばいいのに、なんでFF7っぽくない新曲ばかり使われてるのか疑問。まさかアレンジ曲?だったとしても、良さを殺してると思う。
公園に行くまでのマップとかウォールマーケットとか。
もうちょっと懐かしい気分を味わせて欲しかった。

 

 そして女装イベント。
何でムッキー達のお風呂イベントを無くしたの?あれが楽しみだったのに。
それとも私がイベントを見逃してるだけ?
服屋さんのイベントもないし、男男男のキレイなお姉さんも化粧をしただけのマッチョマンになってるし。

イベントといい音楽といい、今回は原作と同じ表現を極力避けているような気がするのは気のせい?


 …う~ん。

このままだと、日記が最後まで疑問と愚痴だけで埋め尽くされることになりそう…。

FF7リメイクプレイ日記? その1

 

 発売日にプレイ開始。
今日は教会でレノを倒したところまで進めました。
突っ込みどころがあまりにも多すぎて、全部語ろうとすると長くなるのでいくつかかいつまんで。

 

 原作にあったシーンはまあまあ遊べるんだけど、それ以外(ジェシーの依頼だのエアバスターの部品を廃棄するだのetc…)は全部苦行。
ていうか、プレジデント神羅、ハイデッカー、神羅兵の「一方その頃」なイベントシーンが多かったのはなんで?
8~9割ぐらいは、描写する必要の無さそうなシーンだった気がするんだけど。

 

 街の様子もモブキャラ達のファッションも現代的…というか、どっかの洋ゲーからそのまま流用してきた感があって、とてもFF7だとは思えない。
7番街スラムなんて、南アフリカ辺りのスラム街をそのまま再現してるだけなんじゃないの?と思ってしまうほど。
そのせいで、クラウド達が別世界から来た異邦人状態になってる。
原作はモブキャラ達にも、もっと多様性があった気がするんだけど…。

 

 戦闘は体験版を遊んだ時と同じ感想。

それに加え、クラウドの戦闘モーションに、ビシっとした格好良さが無いというか、芯が通って無いというか…力強さを感じないのがとっても不満。
真面目に攻撃してるようには見えなくて、ただ剣を振り回しながら踊ってるような印象を受ける。
直前にプレイしてたゲームが「隻狼」と「ゴッド・オブ・ウォー(PS4)」だからか、モーションの軽さを余計に感じた。
原作のモーションはちゃんとクラウドの重量感を出せてたのに、どうしちゃったの?

 

 それと…。

バレットの「いくつだ?」のセリフだとか、アバランチメンバーがクラウドに一言も声をかけずに打ち上げ会を始めたりだとか、「ファーストだ」と答えたクラウドにレノが嘲たりとか。

今回、全体的に性格の悪さを感じさせるものが目立つんだけど、何なのこれ?作風なの?

原作と違って、最初から「ソルジャーを演じてるクラウド」を馬鹿にするような構成になってない?

プレイしててクラウドが可哀相になってくる。

しかも、クラウドがどぎまぎ、おどおどしてる描写がやたら多いし。
こんな描写だらけだと、精神世界で自分を取り戻したら原作よりおっとりとフニャフニャしたクラウドになりそうで心配。

 

 最後に。
今回は最初からジェシーの印象が恋愛的に強すぎて戸惑った。
私は、FF7の女の子キャラではジェシーが好きだったから、(性格が原作と変わってるとはいえ)まあ良いんだけど。
でもこれだと、ジェシーがティファとエアリスの存在をくってしまうことにならない?と心配。
特にエアリスの場合、今回のストーリー構成だと再登場するのがだいぶ後になってるし、ここからエアリスがヒロインとして巻き返そうとしてもなかなか厳しい気が。


以上。
先が不安で仕方ない1回目のプレイ感想でした。

イン・ザ・トール・グラス の感想

 
 謎の展開についていくことしかできない、時間ループ物のホラー映画。
原作はスティーブン・キングで、監督は「CUBE」のヴィンチェンゾ・ナタリ

観る間「???」となりつつも、どこかレトロなものを感じさせるBGMと、泥んこだらけの出演者を見ると「あ~、昔のホラー映画ってこんな感じだったよね!」と懐かしい気分になりました。
全体的に80年代辺りの演出を思い起こさせるので、あの時代のホラーが好きな人にとっては、たまらない作品だと思います。

 

 ただ、謎が謎を呼ぶ展開なので、最後まで観ても「…で、あれはどういうことだったの?」とモヤモヤが残る映画でもあります。
登場人物の殆どがまともな思考を持って動くので、人間関係や心情は把握しやすいようにできてはいるのですが。

岩とか草とか、ホラーな世界観を作り出してる部分は抽象的に語られる為、「そういうことか!」と合点がいくような場面が最後まで出てこないんですね。
なので、舞台背景がはっきりしないのは好きじゃない、という人にはあまり向いてない作品だと思います。

 

 また、ヴィンチェンゾ・ナタリといえば「CUBE」や「NOTHING」など「人の心理を的確に描き切ることに、恐ろしく長けた監督」という認識が私の中にあるのですが、今回はその部分がちょっとだけ雑だったように感じました。
ロスの変貌が劇的になる為にも、草むらに入る前までに彼の性格が分かる描写をもっと増やして欲しかったなと思います。

 

 ということで、「100点満点の映画」というわけではないんですが、雰囲気作りはとても上手いので、ホラー好きなら観て損はないと思われます。
死霊館」や「インシディアス」のパトリック・ウィルソンも出てますし。

考察好きにもたまらない出来じゃないかな。
私は好きです、この映画。
 


 ここからネタばれ感想。

 

 物語の初めから既にループしてる状態なので、「物事の始まりはどこからか?」「あの草と石はなんなのか?」と疑問だらけになる上、「そもそも設定があやふやの状態で作られてるんじゃないか?」という疑念も沸いてくるのですが、私なりの考察を書いてみます。

 作中、岩に触れた者は草の言葉が理解できるようになり、草むらの抜け道も分かるようになることが描かれています。
また、草と同化することで、色んな場所に姿を現わしたり消えたり出来ることも示唆されています。

 そしてロスの言動から察するに、あの岩の場所に導かれる者は何かしらの迷い(悩み)を抱えていることも分かります。
岩に触れると迷いが吹っ切れるようなのですが、そうなると草むらから出ようとは思わなくなり、草と一体化するのを望む、という思考に傾いてしまう様子。

   物語のクライマックスでは、ロスはトラビスに対して「君は僕と似ている、だから救済したかった」と言います。
そんな二人に共通しているのは、バンドのボーカルだったことと、恋人が妊娠した為に夢をあきらめるか否か選択を迫られた、ということ。
ロスは恋人と子供を養う為に夢を捨てて不動産業者になり、トラビスは夢を捨てきれなくてベッキーに中絶を促す、という選択を行いました。

  でも、草むらに入ってからは、この二人の選ぶ答えが逆転します。
ロスは「(ゴスペル・バンドで)イエスと共に世界を変えたかった」という昔の夢を「救世主の岩と共に世界を変えたい」として実現しようとし、トラビスは夢よりもベッキーとお腹の子に「助かって欲しい」と願うようになって、トービンを脱出させベッキー達の時間ループを阻止しようと試みます。

 そんなトラビスに手を引かれトービンが導かれた先は、「救世主の黒い岩の教会」の奥にある開かずの扉の部屋。
これが意味するのは、恐らく岩に触れた者が「相手を助ける」という(人間から見て)正しい選択をすれば、助けた者を通して他の迷える人達も救われるという「真の救済」が成立し、触れた者は「本物の救世主」となっていく、ということなのではと思います。

 ただ、それはあくまで「人間側の正しい行い」であって、「黒い岩にとっての正しい行い」は、ロスが言ってたように草むらと一体化することなのかもしれません。
なので、あの教会を建てたのも、迷った人間達のやり取りを上から眺めて楽しむような、悪意ある存在だったのではないかと思います。

 

他に気になった細かいところも。

●OP等に出てくる草むらの向こうのボーリング場は何なのか?

 元は普通のボーリング場だったものの、草むらの範囲が一気に拡大した為、あの場所も浸食されてしまったのではないかと思います。
なので、その時ボーリング場にいた人達も迷い込んでしまったのではないでしょうか。


ベッキーが度々見る白昼夢らしきものは何なのか?
 恐らく、ベッキーのお腹の子供が前回の草むらでの出来事を覚えていて、母体を通して訴えていたのではないかと考えられます。
OPでカルがハンバーガーを食べる様子を見てベッキーが吐いてしまったのも、岩前の出産後に「草(赤ちゃん)」を食べたことを連想させたからではないかと。

あるいは、もしかするとベッキーも、かつて岩に触った時間軸があったのかもしれません。
トービンがボーリング場で唐突に「僕たちは草と一体で何度でも生き返って殺されるんだ」と言い出すことからも、時間ループ中に一度でも岩を触ったことのある者は、前回の記憶をうっすら持ち越してるフシがあるので。


●最初に草むらに入ったのは誰なのか?
 今のところ、二つの可能性が思い浮かぶのですが、今回はひとつだけ述べてみます。
序盤でカル&ベッキー兄妹は、トービンの声を聞いて車を教会前に停め、草むらに入ります。
続いて二か月後、トラビスがやってきて草むらに入る時、兄妹の車はそのまま放置された状態でした。
その翌日に、犬のフレディを追いかけてロス一家が草むらに入った時、トラビスの車は残ったままでしたが兄妹の車はありませんでした。

更にその翌日~数日後、カル&ベッキー兄妹(その2)がトービンの声を聴いて草むらへ入る時、トラビスの車は消えていました。
ここまでくると、「じゃあロス一家が乗っていた車はどれ?」と思ってしまうのですが。

電話中のロスが現れた方向から考えれば、兄妹の車より奥に停められてた銀色の車が、それである可能性が高いです。
そしてその車は、兄妹が教会に来た時もトラビスが教会に来た時も駐車されていました。

 というわけで、ループの起点となったのは銀色の車に乗っていたと思われるロス一家であり、次に兄妹、最後にトラビスの順番だったのではないかと思います。多分。
 

以上です。
宗教やカンザス州の風俗史に詳しい人なら、もっと違う解釈になるのかもしれませんね。